はなうた対話集4:近藤文陽

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前回の猿田さんのお話にでてきた
 
お寺の住職さんであり、GOMAさんやOKIさん、ヨシダダイキチさんといった様々なミュージシャンをお寺に招いてライブを企画してきた感応寺の文陽さん。
 
普段は多くは語らない文陽さんですが、そのセンスの良さと音楽への飽くなき探求心を探ってみたくて、壁中に日本酒の貼られた食堂で1杯も2杯もやりながら語っていただきました。

 

―文陽さんの生まれは海外だったと伺ったのですが、簡単な生い立ちとそれに伴った音楽体験を教えてください。

父がサンフランシスコにある寺の住職だったので生まれはサンフランシスコで、2歳で日本に帰ってきて秋田で育ち、高校卒業後に僧侶の修行のために尼崎に出ました。

尼崎は兵庫県なのに神戸よりも大阪の方が距離的に近いんです。結構高校時代からいろんな音楽が好きだったので、大阪のアメ村のレコード屋には行っていました。

高校時代はミッシェルガンエレファント。ブラフマン、ハイスタ、イースタンユースとロック系がとにかく好きでした。ビジュアル的にはイースタンユースが一番近いけど。(笑)高校1年のときにミッシェルがジョイナスに来た時行きましたよ。

それで、そういう高校の時読んでいたファッション雑誌とかでビームスとかでてくるじゃないですか、大阪いくとあるわけですよ、ビームスが。服のほかにカルチャーコーナーみたいのがあって、そこにあるCDは今まで聞いてたようなもの以外なのがたくさん置いてあって。そこで出会ったのがSKATALITESの2枚組のアルバム。なんだこれは!やばいぞっ!と思って聴いたけど、最初のうち全部おんなじに聞こえて(笑)CD屋じゃない方が気が利いているときがありますね。

―確かに。好きなジャンルを掘っていくことから広がることもありますが、雑多な文化の発信地みたいなところで触れて興味が広がっていくことありますからね。ビレッジバンガードのCDコーナーとか。そうやってアメリカ村でいろいろな音楽に触れたんですね。

で、その頃大阪はSKAが流行っていたこともあってSKAにはまり始めました。アメ村には、とにかく中古もふくめたレコ屋がたくさんあった。でも、寮生活で門限はあるし、自由時間はほとんどないから、月に一度くらいしか買いに行けない。さらには、修行しているところだから聴くプレーヤーがない。買って、休みをもらって秋田に帰ってくるまで聴けないの。ずっとタンスに入れっぱなし。

―なるほど、そうやってどんどん買ったレコードやらCDたちへの想いが募るわけですね。一層音への想いが溢れてくるというか。

そうそう。ただ、学年が上がっていくとCDプレーヤーが与えられるんです。でもそれだって好きなときに聴けるわけじゃない。

―俺対お前みたいな一枚のレコードへかける想いの強さ。入ってくる濃度みたいなのが違ったんでしょうね。

そうでしょうね。視聴して買って帰ってきても聴けないっていう。このもどかしさ。(笑)
ただ、1年目の夏休みに初めてフジロックに行けたんです。もう高校時代好きだったミュージシャンが総出演みたいなあつ~~い年で。ハイスタとかジョンスペンサーブルースエクスプロージョンとか。ライブ体験っていうのがジョイナスからのフジロックというすごい跳躍力でしょ。

―秋田に帰ってきてもちろんお寺のお仕事が第一だったとおもうのですが、ご自身でイベントを始めるきっかけになったこととかはありますか?

修行していたお寺では、境内でステージで演劇があったり、開創◯◯年という時には記念のライブがあったりして、寺で音楽イベントというのは自然のことでした。檀家さんだけでなく、多くの人に来てもらいたいという意図の一環ですよね。もしかしたら、その頃から「自分のお寺でもイベントをやりたい」と思っていたのかもしれません。

それで、秋田に帰ってきて、自由な時間が増えたときに地元にはどんなイベントがあるんだろうってテレビで見てたら、いろんな場所ができてきた時期で、いろんなことやってる人がいるんだなって気づいたんです。ココラボラトリーでのモンゴルのホーミーと馬頭琴のライブだったり、秋田のスカバンド・KING LIONがスカのイベントを打っていたりしていて。
自分で呼び始めたきっかけは、地元のシタール奏者の方が寺を会場にライブをやっているのをテレビで見たこと。全然ライブをやるノウハウとかないのに、ウチでもこういうことをしたいと直感的に思って。すぐにライブ見に行って、自分はこういうものです、うちでもライブやってくださいってお願いして、いいですよって言ってくれて。

いろんなイベントをやっている同世代の人たちがいたし、修行中にお寺でイベントも見てきたから、自分でもやってみたいっていう、もう若さ。(笑)それに、テレビを見てるだけじゃ物足りないですよね。
そういった流れで猿田さんと知り合ったんですが、前回のインタビューで猿田さんが言ってくれていた、デジュリドゥ奏者のGOMAさんをお寺に呼んだんです。ディジリドゥを初めて見た時、本当に何が何だかわからなくって。(笑)今まで聞いてきた音楽を飛び越える強烈な音で、どうしてもあの楽器をこの目で見たいし、生音を聞きたかったんです。

そして、そのなんだかよくわからない楽器にびっくりするくらい人が来たんですよ。なんかそういうのに賛同してくれるアンテナのある人たちがいっぱいいたっていうか、面白いものに無条件に飛びつくというか、いい意味で何も考えなかった時代というか。
それでそのときにただライブをやるんじゃなくて時間をゆっくりとってご飯食べたりなんだりして、最後にライブをバーンってやって、一日を寺で過ごしてもらうっていうのが面白いんじゃないかって言ってくれた人がいて。そういうおもてなしも大事だなと。来てくれたミュージシャンに対してもだけど、打ち上げの時も悩んだ挙句、きりたんぽとかハタハタとか郷土料理を出したら、うまいうまいと気に入ってくれて、次の年はGOMAさんの方から行きたいって言ってくれました。内心、「きりたんぽ食べに来たんだろうな」って思いましたけど(笑)
秋田のそういう打ち上げ文化、お酒文化も大事ですよね。

―あるミュージシャンが秋田と高知が一番たべものが旨いって。だからツアーでは必ず秋田に行きたいって言っていました。そのライブの成功からいろいろなミュージシャンの方と繋がっていったんですか?

いや、秋田での音楽関係の人との繋がりとか広がりはキャンドルからかもしれない。GOMAさんがライブの時に雰囲気にものすごくこだわっていて、キャンドルを置いてライブをしたいと。で勉強のために、キャンドルジュンさんのキャンドル見に行ったりしたら、けっこういい値段でまとまった本数は揃えられなかった。で、自分のところは寺だし、蝋燭たくさんあるし、自分でつくっちゃえと。

そしたら、意外にもみんな喜んでくれて、それからライブを主催するんだけどキャンドルを貸してくれっていう話がきたりして、また新しい繋がりができていったていう。サカキマンゴーさんも主催者の人にキャンドルで来てくれって言われて初めてライブを見ました。そこでお話してつながって、次の年にFacebookかTwitterでいきなり連絡がきて、お寺でやらせてくれませんかって。だからキャンドルのおかげで、自分が今まで知らなかったミュージシャンも聴くチャンスが増えて自然と縁が繋がっていったんですよ。

それからココラボでオムトンさんのキャンドルを頼まれてやったら、次のツアーではウチにも来てくれることになった。その後、オムトンさんが青谷明日香さんにこういう人がいるよって紹介してくれて、青谷さんがメッセージくれて、お寺でライブをやりましょうと。だから口コミっていうかみんなで繋げてくれたんですよね。積極的に呼んだりすることではなくて。
そして場所としてお寺って面白いと思ってくれるんですよ。ライブしてご飯食べれて打ち上げできて泊まれて全部完結しちゃうから。やっぱり寺とかってそもそもの目的でいろいろな人がくるじゃないですか。本来エネルギーがある場所だから。お寺って仏事に関係ない人が行っちゃいけないと思われがちだけど、本来集会所だったり、いろんな機能を兼ね備えていて。そういう役割をもう一度取り戻したいという思いもあります。

「お寺で演奏会なんかやっていいの?」と聞かれることもありますが、仏教と音楽って本当に関わりが深いんです。仏様を讃嘆するためのものとしてね。だから、お経には楽器の名前がたくさん出てくるし、天女の彫刻なんか見ると、みんな楽器持ってるでしょう。雅楽も仏教と一緒に入ってきたものだし。大本山の法要に雅楽の演奏は欠かせない存在です。

声明(しょうみょう)っていうのがあって、壮大なお経みたいな、お経の一節に節をつけてを長く唱えるものなんですけど、これも民謡の始まりなんじゃないかっていうのもあって、仏教法要に音楽はなくてはならないものです。

それで、お寺のライブ企画名を考えた時に、「迦陵頻伽」という、浄土に住む迦陵頻伽という鳥のことを思いました。その美しい鳴声は聞いた人が気を失うほど感動するらしいんです。だから、それにあやかって本堂でのライブを聞いた人が気を失うとは言い過ぎですが、感動してくれればいいなと思って、「迦陵頻伽聲〜KARYOBINGA SHOW」と名付けました。んで、この迦陵頻伽を彫った彫刻が本堂にあるって気づいたのは、イベントを始めてからしばらく経ってからのことで。発想は間違ってなかったと証明されました(笑)

演奏者の方もいってましたが、民族楽器の響きって本堂によく調和するんです。木造建築のおかげがまずあるし、さっき言ったようにエネルギーがある場所だからかもしれない。実際、サカキマンゴーさんの親指ピアノでも、終わったらお客さんが温泉からあがったようないい顔をしていましたね(笑)

―お寺なり、お店なり、場所としてのエネルギーがあって人の集う場に音楽ありっていうのが一番美しい流れですよね。

今まではお寺の恒例行事は恒例行事、ライブはライブで分けていたんだけど、一緒にやることに挑戦したかった。それに一番フィットしたのが子供のための行事で鬼子母神まつりでした。子供を見守るお母さんの仏さんなので、子供も大人も楽しめるようなライブにしたくて企画したんです。親子連れでコンサートってなかなか難しいみたいだから、今日はは堅苦しくなく過ごしてもいいよっていう場にして。

それで、昨年は青谷明日香さんをこちらからお願いして出てもらいました。親子で「あんべいいな」を歌ってくれたのを見て、お祭りとしては大成功と思いました。

それで、今年はコロリダスにお願いしました。パーカッションの英心君は三種町にあるお寺の副住職。東京では若者中心の酒場で演奏することが多いみたいですが、僕がコロリダスを見たのは、彼のお寺でやってる「松庵寺郷土まつり」という全世代が集まるお祭り。境内だからお墓の前でやるんですよ。まさに、「酒場から墓場まで」(笑)そこで、小さい子が「生ビールの歌」を一緒に歌っていたのが印象的でした。学校でのWSもやっているようなので、鬼子母神まつりにピッタリだなと。

シタールやディジリドゥといった秋田ではなかなか聞くことができない民族音楽のライブは、能代にいながらにして、遠い国に旅行したような気持ちにさせてくれます。そういったライブもウチの特色ですが、青谷さんや英心君のように秋田に縁があるアーティストのライブも行っていきたいと思います。音楽の地産地消のような(笑)寺という場で音楽を通じて、いろんな人が交流してくれれば嬉しいですね。

【今後の予定】
4月29日鬼子母神祭り

この記事を書いたひと

近藤文陽

能代 感応寺住職