はなうた対話集2:猿田真【前編】

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前回の青谷明日香さんのお話でも出てきた、

「秋田のミーハーな感じのしない、音楽を聴いて、いいなと、いいアンテナを持っている人」

の一人である猿田真さん。

彼は「里山のカフェににぎ」の店主でもあり、人々の暮らしやその足元をしっかりと見据えたイベントを創り上げる仕掛け人でもあります。

そんな猿田さんとただひたすらに音楽の話がしてみたくて、秋田駅前の適度に放っておいてくれる喫茶店で語り尽くしていただきました。(語り尽くすにはまだまだかしら)

 

―ににぎの話、イベントの話、聴きたいことは山ほどあるのですが、まずはいろんな音楽の分野に精通している猿田さんの一番はじめの音楽体験みたいなものを教えてください。

 

自分は中高と運動部だったのですが、中学生の時の部活の先生が好きだった久保田利伸さんのラジオ番組を録音したカセットテープがきっかけなんです。なんだか面白い音楽だなと。たまたまその時の内容がアニメの曲やダンスミュージック等の色々な曲をメガミックスにした感じの作りで、サンプリング、カットアップとそういうのが面白かったんでしょうね。そのカセットテープを借りて以降ブラックミュージックに興味をもって。

そして久保田さんのラジオを聴くようになって、ある時、番組でジョンコルトレーンが紹介されたんですよ。もうこれは何なんだ、何者なんだという衝撃で。そして初めて買ったジャズアルバムがコルトレーンなんです。確か当時フォーラスの上にあったオズディスクとかいう洋楽専門店で。

それから少年時代の漫画やファミコンの影響も大きいですね。ピコピコした音が好きで。

あとPCエンジンCD-ROMという機種の天外魔境というソフトの音楽の担当が坂本龍一だったんですよ!!だから中学校の時に遊んでいたゲームのサントラやピコピコ音に魅せられたことは後にテクノやYMOを聴き始めるきっかけに繋がっていったんです。

 

―随分多感な中学高校時代だったというか、そこから後の好きな音楽に繋がっていくというのはとても興味深いです。そんな少年時代を経てその後、上京されるんですよね。

 

将来やりたい事が無くて進路に迷ってたんですが、幼少期に絵を描く事が好きだったっていうのもあり、漫画家やイラストレーターみたいな仕事を目指して上京したんです。ところが自分の通ってた専門学校のクラスの人達が自分の予想を上回る程の度が超えたオタクだらけで(笑)、自分も半分位足を突っ込みかけてましたけどね(苦笑)。でも中に気の合う友達がいて、教室や寮が同じだったんですけど。その頃衝撃を受けたのがケンイシイさんのExtraというミュージックビデオだったんです。ミュージックビデオが森本浩二さんという方のアニメーションで、ビジュアル的にも今までに見たことのない感じで。テクノっていうジャンルをビジュアル的にも再認識したというか。

そこからはもうテクノに傾倒して。電気グルーヴとかね。テレビブロスっていう雑誌がもう教科書のようなもので(笑)、石野卓球さんの紹介していたアナログ集めたり、90年代クラブカルチャー全盛期だったので初クラブデビューで西麻布イエローにいったりと。地下にぎっしり人がいて、みんなたてノリで、一緒に行った友達が途中酸欠で具合悪くなっちゃったりして(笑)、クラブってオシャレとかしていかなきゃならないんだろうな〜って思ってたんですけど、当時卓球さんは「テクノはスポーツだ!」とおっしゃってたので気軽にTシャツにジーンズで通ってました(笑)。

今じゃ代表的な日本のアニメですけど、攻殻機動隊がゲーム化されたときのサントラも卓球さん監修だったんですよ。そのとき出したコンピレーションはデリックメイとか世界的に有名なテクノミュージシャンたちも参加していて聴きまくりましたね。

フェス文化も花開いてきた時期でフジロックが始まったり、テクノでは99年から卓球さん主催のワイヤー(WIRE)というフェスが横浜アリーナではじまって。始めの頃なんか水を買うのに1時間以上並んだり、すごいことになっていました(笑)。屋内のフェスでかつ、1万人規模の人が一枚のレコードで踊るという空間で、自分は5年連続で行きましたよ。そういう文化に滅茶苦茶影響を受けた20代中頃でしたね。いろいろな音を聴いてさらにはまって、主にデトロイトテクノとかシカゴハウスとかを聴くようになって。デトロイトテクノを聴きこんでいくと、デトロイトって昔はモータウンじゃないですか!カール・クレイグというミュージシャンがいるんですけど、デトロイトの人だけで作った作品とか昔のアーティストも参加していたりとかでそういう流れで、またブラックミュージック回帰というか、自分が昔聴いていたコルトレーンとか聴き直して、うわ!って再感動したりして。

 

―猿田さんのお話を聴いていると、自分の思考と生活と音楽とが隣り合わせというか。聴きこんで掘り下げて再構築して。音楽のとらえ方がすごく自然で面白いですね。

 

完全に音フェチなんですよ(笑)。

自分は楽器をやるわけではないので入口は1音聞いただけでハッとする音なんですよ。

ビジュアル、イメージ的なもの、聴いた瞬間にビジュアルが浮かぶ音というか。

レコード屋に通って掘り下げて煮詰まってまた聴いての繰り返し。そして東京での生活もだんだんと煮詰まってきて、聴く音楽も変化を求めてジャズとかあとはボサノバとかのブラジル系も聴くようになってブルーノート行ってみたり行く場所も変化して。その頃芝居好きの友達の影響で「大人計画」や「ナイロン100℃」とか芝居も見に行くようになって、客席には俳優さんやモデルさんたちも見に来ていて、すごい空間にいるなと。こうなったら東京にいなければ見れないものを貪ってやろうと。こちらの生活を楽しむだけ楽しんでやろうと。東京生活の最後のほうはそんな気持ちでいろんな場所に赴いていました。

 

そして、よく通っていた新宿リキッドルームが閉店した年に秋田に戻ってきた猿田さん。

このインタビューは猿田さんの音楽史というかサブカル音楽男子の文化史の様相を呈してきましたが秋田編は後編で。お楽しみに

 

【猿田さん企画イベント】

9/21『影絵と音楽の旅』 川村亘平斎 & トンチ

 

 

この記事を書いたひと

猿田真

里山のカフェににぎ店主