この記事は生きるという営み 映像と音でつづるフィルムコンサート -フランス、ウイグル、日本-のレビューです。
12月1日。外はもう暗い中、ココラボラトリーの灯りに照らされてKy(キィ)のフィルムコンサートは始まった。
即興演奏と共にスクリーンに写真が現れる。ウイグルの景色だ。辺りは霧や煙で白っぽい。寒いのだろう。人々は服を厚く着込んでいる。煙の香りや寒さを、できるだけ想像しようとしてみる。
スライドショーが終わり、会場が少しだけ明るくなり演奏していた2人の姿が浮かび上がる。そしてまた演奏が始まり、2つの映画の話になる。
ひとつは白血病になった映画監督の男と妻の話。その映画のBGMが演奏された後、70代のフランスの炭鉱夫の生活を追ったドキュメンタリーが始まった。
炭鉱で働く男達の姿が見える。リフトで運ばれ、煤にまみれながら働く。途中途中、こちらを見ている炭鉱夫がいる。笑いかける者もいれば、大した感心も無さそうにちらっと視線を向ける人もいる。 時間が来ると、真っ黒になった体を仲間と洗い流し仕事前に脱いだ服に着替える。
そして外に出て行く。
炭鉱の中に比べると外の世界はなんだか白っぽく、軽そうに思えた。その中に男が足を踏み入れていく様子は、一度別の世界に降りていった人が地上の光に引き寄せらせてふわふわと後戻りしていったようだった。
しかしただ戻ったのではない。彼の肺には毎日少しづつ、黒い石炭粉が積もっていっている。地上の彼はどこにでもいる普通の人に見える。
考えてみると街中で見るどこにでもいる人たちは一体どこから来たのだろうか。
写真にしろ映画にしろ、作品の向こうにはフィクションではない人々がいる。彼らは、スクリーンを見ている観客の顔を想像したりはしたのだろうか。
作品が上映されている最中に、ヤンさんと仲野さんは曲を添えていく。楽器たちの出身地は、結構バラバラみたいだ。楽器が作られ奏者の手に渡り、観客の前で奏でられるそこまでに、一体どんなモノや人が関わってきたのだろう。
それぞれの背景で生み出されたものが、音や空気や作品となり私たちの心に入ってくる。
Kyの音楽の背景には沢山の人の人生があった。
それらを素晴らしい音楽に乗せて、よく煮込んであるスープを飲むように自分の中に取り込むことができたのは実に幸運だったと思う。そして演奏の合間に浮かび上がる二人のシルエットは、ただただ美しかった。今でもその姿が目に焼き付いているのだ。